【ITニュース解説】異世界JavaScript
ITニュース概要
JavaScriptには、過去に提案されながらも標準化されず、現在の仕様には含まれていない機能が存在する。この記事では、そうした歴史の中で消えていった仕様を紹介。普段使っているJavaScriptがどのように進化してきたか、その過程を学べる。
ITニュース解説
JavaScriptの標準仕様であるECMAScriptは、TC39という標準化団体によって定期的に更新され、進化を続けている。この標準化の過程では、常に多くの新しい機能が提案されるが、そのすべてが採用されるわけではない。互換性の問題、より優れた代替案の登場、あるいは技術トレンドの変化といった様々な理由から、採用が見送られたり、一度はブラウザに実装されながらも後に廃止されたりした機能が数多く存在する。現在の標準仕様には含まれていない、そうした過去のJavaScriptに存在した、あるいは存在したかもしれない機能を知ることは、今日のJavaScriptがなぜ現在の形になっているのか、その技術的な背景や設計思想を深く理解する上で非常に有益である。 まず、多くの開発者が一度は疑問に思うであろう `typeof` 演算子の挙動について見ていく。`typeof` 演算子は値のデータ型を文字列で返すが、`typeof null` の結果は `"object"` となる。これは直感に反する挙動であり、本来であれば `"null"` となるべきだと考えられる。実際にこの挙動は、JavaScriptの初期バージョンに存在したバグに起因する。しかし、このバグを含んだ仕様が広く普及し、世界中のWebサイトで `"object"` という結果を前提としたコードが大量に書かれてしまった。そのため、後からこれを修正すると、既存の多くのプログラムが壊れてしまうリスクがあった。過去にはこの挙動を修正する提案がTC39でなされたが、互換性を維持することの重要性が優先され、提案は否決された。この事例は、一度広まった仕様を変更することの困難さを如実に示している。 次に、ループ構文の歴史をたどる。かつて一部のブラウザには `for each...in` という構文が存在した。これは、オブジェクトが持つプロパティの「値」を順番に取り出すためのループ処理で、プロパティの「キー(名前)」を取り出す標準の `for...in` ループとは異なる目的で使われた。しかし、最終的にECMAScript 2015で `for...of` という、より汎用性の高いループ構文が標準化された。`for...of` は、配列や文字列、Map、Setといった反復可能な性質を持つ多様なオブジェクトに対応し、その値を直接取り出すことができる。この強力な `for...of` の登場により `for each...in` はその役割を終え、廃止されるに至った。 配列を生成するための便利な構文も検討されていた。配列内包表記は、既存の配列から新しい配列を効率的に生成するための短縮記法である。例えば、ある配列の各要素を2乗した新しい配列を作成する場合、`map` メソッドを使う代わりに、より宣言的な構文で記述できた。しかし、ECMAScript 2015でアロー関数が導入されたことで、`array.map(x => x * x)` のように、既存の高階関数を非常に簡潔に記述できるようになった。このため、新しい専用構文を導入するメリットが薄れ、配列内包表記は標準化されなかった。 オブジェクトの変更を監視する機能も模索されていた。`Object.observe()` は、オブジェクトのプロパティが追加、更新、削除されたことを検知するための仕組みだった。これは、アプリケーションのデータ(モデル)が変更された際に、自動的に画面表示(ビュー)を更新するようなデータバインディングを容易に実装できると期待された。しかし、これもECMAScript 2015で、より強力で柔軟な `Proxy` という機能が標準化されたことで状況が変わった。`Proxy` は、オブジェクトに対するプロパティの読み書きをはじめとするあらゆる操作を捕捉し、独自の処理を割り込ませることができる。`Object.observe()` が提供する以上の詳細な制御が可能なため、`Proxy` によって代替される形で `Object.observe()` の標準化計画は取り下げられた。 データフォーマットに関する歴史的な機能としてE4X(ECMAScript for XML)がある。これは、JavaScriptのコード内にXMLを直接記述し、直感的に操作できるようにする言語拡張だった。しかし、Web開発の世界ではデータ交換フォーマットとして、より軽量でJavaScriptとの親和性が高いJSONが急速に主流となった。さらに、Reactで採用されているJSXのように、UIを構築するためのより洗練された仕組みも登場した。時代の変化とともにXMLの利用シーンが減少し、E4Xの必要性も薄れていき、やがて廃止された。 最後に、パフォーマンス向上を目的とした機能としてSIMD(Single Instruction, Multiple Data)の導入が検討された。SIMDは、一つの命令で複数のデータを並列に処理する技術で、画像処理や物理演算といった計算負荷の高い処理を高速化することが期待されていた。しかし、その後にWebAssemblyという、より根本的な解決策が登場した。WebAssemblyは、C++やRustといった高性能な言語で書かれたコードを、Webブラウザ上でネイティブコードに近い速度で実行できるバイナリフォーマットである。WebAssemblyはSIMDを含む、より広範で強力な計算能力を提供するため、JavaScriptの仕様に直接SIMDを組み込む必要はないと判断され、提案は役目を終えた。 これらの標準化に至らなかった機能は、JavaScriptの進化における試行錯誤の歴史そのものである。技術トレンドの変化、より優れた代替機能の登場、そして過去の資産との互換性の維持という、ソフトウェアの標準化における重要な側面を浮き彫りにしている。現在のJavaScriptが持つ洗練された機能群は、こうした数多くの議論と選択の結果として形作られたものであり、その背景を知ることは技術への深い理解につながるだろう。