【ITニュース解説】Ship It, What Could Go Wrong?
2025年09月05日に「Dev.to」が公開したITニュース「Ship It, What Could Go Wrong?」について初心者にもわかりやすいように丁寧に解説しています。
ITニュース概要
Mars探査機墜落は、開発時の単位系不一致により5億ドルを失った。この事例は、インターフェースや型安全でデータ単位の整合性を検証する重要性を示し、オブジェクト指向プログラミングがシステムの信頼性向上に不可欠な技術だとわかる。
ITニュース解説
ソフトウェア開発において、コードのわずかなミスが想像を絶するような大きな被害をもたらすことがある。時には、たった数時間のシステム障害が数千万円もの損失を生み出すこともあるし、さらに大規模なプロジェクトでは、その損害額は億単位に膨れ上がる。このような事態の背景には、開発者が置かれているシステムや環境、そしてコードの品質管理体制に問題があることが多い。個人の能力の問題ではなく、開発プロセス全体の仕組みが重要だということを示す例がある。
その最も劇的な例の一つが、1998年に発生した火星気候オービターの失敗だ。このオービターは、1998年12月にフロリダから打ち上げられ、およそ1年後に火星に到達する予定だった。しかし、火星への到着後、オービターは秒速約5,400メートルという猛スピードで火星の大気圏に突入し、おそらく瞬時にバラバラになってしまった。その結果、5億ドル(当時の日本円で約580億円)という巨額の費用と、200人以上のエンジニアたちの長年の努力が水の泡と消えてしまったのだ。多くのエンジニアにとって、これは一生をかけた仕事だったはずだ。この悲劇的な出来事は、ソフトウェアエンジニアリングにおけるある側面が、いかに見過ごされがちであるかを浮き彫りにしている。
この事故の直接的な原因は、非常に単純なものだった。プロジェクトには、ロックヒード・マーティン社とNASAのジェット推進研究所(JPL)という二つの主要な組織が関わっていた。計画の仕様書では、すべての測定値をメートル法(キログラム、メートル、秒など)で扱うことが求められていた。しかし、ロックヒード・マーティン社が開発したソフトウェアは、オービターの推進力を制御する際に帝国単位(ポンド、フィートなど)を使用し、その計算結果をNASAに送信していた。NASAは、メートル法を前提とした自身の軌道モデルに、ロックヒード社から送られてきた帝国単位のデータをそのまま入力してしまった。これにより、オービターが火星の軌道に乗っているとNASAが考えていた場所は、実際には火星の大気圏内だった。一度大気圏に突入してしまえば、もはや軌道を修正することは不可能だったのだ。
この一連のプロセスにおいて、ロックヒード社はオービターの「姿勢」、つまり宇宙での向きを制御する役割を担っていた。姿勢を調整すると、オービターの「運動量」に影響が出た。この運動量は「衝動(インパルス)」として測定され、ロックヒード社はその衝動の情報をファイルに保存し、内部ネットワークを通じてNASAに送っていた。NASAはそのデータを受け取り、自身の「軌道力学モデル」で処理していたのだ。事故後の調査では、仕様書でメートル法が指示されていたことを考えると、ロックヒード社に非があるのは明らかだった。しかし、ソフトウェア開発は複数の組織が協力して行うものであり、情報を受け取るNASA側にも、送られてきたデータの単位を確認する責任があったため、最終的には両者が責任を認める形となった。
このような壊滅的な失敗を防ぐための考え方として、オブジェクト指向プログラミング(OOP)の重要性が改めて注目されている。C++の生みの親であるビャーネ・ストロヴストルップは、なぜC++という言語を生み出したのかという問いに対して、「最も信頼性を必要とするアプリケーションに真の信頼性を提供すること」と答えている。彼が言う「最も必要とされる」ものとは、例えば、ソフトウェアの不具合が人命に関わるようなシステム、あるいは火星気候オービターのように壊滅的な結果を招く可能性のあるシステムのことだ。私たちの身近な例で言えば、携帯電話のソフトウェアが停止すれば緊急連絡ができなくなるかもしれないし、自動車のブレーキシステムが誤作動すれば命に関わる。このような極めて重要なシステムでは、ソフトウェアの堅牢性が文字通り「命綱」となる。
オブジェクト指向プログラミングは、アプリケーションを「モジュラー」で「柔軟」に保つための原則を提供する。ここでいう「モジュラー」とは、プログラムを独立した部品(オブジェクト)に分割し、それぞれが特定の機能を持つようにすることであり、「柔軟」とは、これらの部品を組み替えたり、新しい部品を追加したりしやすい構造を持つことだ。この「モジュラー性」と「柔軟性」は、開発者にとって「安全網」のような役割を果たす。例えば、C#のコード例で示されたように、データの単位を明確に管理するための「インターフェース」という仕組みを利用できる。インターフェースとは、特定の機能や振る舞いを約束する「契約」のようなもので、この契約を満たすオブジェクトだけが特定の処理を受けられるようにする。
火星気候オービターのケースでは、ロックヒード社がNASAに送る「衝動」の値を、単なる数字(double型など)としてではなく、その数字が「何の単位」を持っているのかを明確に定義して渡すことで、事故を防げた可能性がある。具体的な解決策では、IQuantityというインターフェースを導入し、すべての量がその「SI単位(国際単位系)」での値を公開するよう義務付けている。さらに、enum(列挙型)を使ってForceUnit(力の単位)やImpulseUnit(衝動の単位)といった単位そのものをコード上で明示的に定義する。そして、struct(構造体)というデータ型を用いて、単なる数字と単位情報をまとめて扱うようにする。例えば、Force構造体は、力の大きさとその単位を内部に持ち、作成時に自動的にSI単位に変換されるようにする。
これにより、ロックヒード社のソフトウェアは、内部でどんな単位で計算しても、最終的にNASAに渡すデータは必ずSI単位に変換され、さらにそのデータが「N*s(ニュートン秒)」という単位を持っていることを明示的に示すことができるようになる。NASA側も同様に、受け取ったデータの単位が正しいかどうかを、このインターフェースと構造体を使って自動的にチェックできるようなシステムを構築すれば、数値の解釈ミスを防げたはずだ。データを受け渡す際の「接点」、つまりインターフェースの部分で、両者が同じ「契約」を守ることで、致命的なエラーは避けられただろう。
振り返れば、「たられば」の話になるが、この火星気候オービターの事故は、シンプルなインターフェース設計の有無がプロジェクトの成否をいかに大きく左右するかを示す象徴的な事例だ。NASAとロックヒード、どちらか一方でも送受信するデータの単位を厳密にチェックする仕組みを持っていれば、この悲劇は起こらなかった。この教訓は、私たちがオブジェクト指向プログラミングの原則をただ暗記するだけでなく、その「なぜ」を深く理解することの重要性を教えてくれる。人間が生きる上で欠かせない信頼性の高いシステムを構築するためには、オブジェクト指向の考え方が不可欠であり、開発者としてその本質を理解し、実践することが求められるのである。