【ITニュース解説】【読書感想】心は存在しない

2025年09月06日に「Qiita」が公開したITニュース「【読書感想】心は存在しない」について初心者にもわかりやすいように丁寧に解説しています。

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ITニュース概要

書籍『心は存在しない』の感想記事。心は実体がなく、脳の神経活動が生み出す幻想であると解説。記憶も固定ではなく、思い出すたびに再構成される。人間の感情や思考を、脳という情報処理システムの働きとして客観的に捉える視点を紹介する。

出典: 【読書感想】心は存在しない | Qiita公開日:

ITニュース解説

人間の脳の働きは、情報処理という観点から見ると、コンピュータシステムと非常に多くの類似点を持つ。脳科学における近年の発見は、私たちが当たり前だと考えてきた「心」や「意識」の正体が、実は物理的な脳というハードウェア上で実行される、極めて合理的なプログラムの産物であることを示唆している。特に、物事を「わかる」という感覚の仕組み、感情が生まれるプロセス、そして「自由意志」の存在についての知見は、システムエンジニアを目指す者にとって、学習方法や問題解決、さらには人間というシステムそのものを理解する上で重要なヒントを与えてくれる。

まず、私たちが何かを学習し「わかる」と感じるメカニズムは、脳が持つ情報処理の基本原則に基づいている。脳は、外部から新しい情報が入力されると、過去の経験や知識から形成された既存の知識体系、いわば脳内のデータベースである「スキーマ」と照合を試みる。この照合が成功し、新しい情報が既存のスキーマのどれかにうまく適合したとき、私たちは「わかった」という感覚を得る。これは、コンピュータが新しいデータを既存のデータモデルやパターンに当てはめて分類・処理するプロセスに似ている。この「わかる」という感覚は、単なる理解の証ではない。脳は、予測が当たったことへの報酬としてドーパミンという神経伝達物質を放出し、快感を生み出す。この快感こそが、さらなる学習への動機付けとなる。なぜ脳はこのような仕組みを持つのか。それは、常に膨大なエネルギーを消費する脳が、できるだけ効率的に稼働しようとする「省エネ戦略」の一環である。未知の事象に遭遇するたびにゼロから思考するのは非効率極まりない。そこで、既存のパターンに当てはめて素早く結論を出すことで、思考のショートカットを図り、エネルギー消費を最小限に抑えているのだ。これは、エンジニアが新しい技術を学ぶ際に、まずその分野の基本的な概念や設計パターンというスキーマを構築することが、応用的な知識の習得を加速させることと通じている。

次に、喜怒哀楽といった「感情」が生まれるプロセスも、従来の考え方を覆すものだ。一般的には、「悲しい」という感情が心に生じた結果として「涙を流す」という身体反応が起こると考えられている。しかし、脳科学の世界では「ジェームズ=ランゲ説」に代表されるように、この因果関係を逆転させて捉える。つまり、「涙を流す」という身体的な変化がまず先に起こり、その変化を脳が検知・解釈することで「悲しい」という感情のラベルを貼る、という考え方だ。この説は、身体をセンサー群を搭載したハードウェア、脳をそのセンサーからの情報を統合・処理するソフトウェア(オペレーティングシステム)と見なすことで、より深く理解できる。心拍数の上昇、発汗、筋肉の緊張といった物理的なセンサー情報が脳に送られる。脳はこれらの入力データをリアルタイムで監視し、「現在の身体の状態は、過去の経験から判断するに『恐怖』という状況に相当する」といった具合に解釈し、それが私たちの感じる「感情」となる。感情とは、心という実体不明の場所から湧き出るものではなく、身体という物理的なハードウェアの状態を、脳というソフトウェアがモニタリングした結果として生成される、一種のステータスレポートなのである。

最後に、私たちの行動を決定づける「自由意志」についても、その存在が問い直されている。私たちは、自分の意志で「コーヒーを飲もう」と決め、その結果として手を伸ばす、と信じている。しかし、ベンジャミン・リベットが行った有名な実験は、この常識に疑問を投げかけた。この実験では、被験者が「動かそう」と意識する約0.35秒も前に、脳内では既に行動準備の信号である「準備電位」が発生していることが明らかになった。これは、意識的な決定が行動の原因なのではなく、むしろ無意識的な脳の活動が先に行動を決定し、私たちの「意識」はその後からその決定を追認し、「自分が決めた」というストーリーを生成しているに過ぎない可能性を示唆する。この関係は、コンピュータシステムにおけるバックグラウンド処理とユーザーインターフェースの関係に似ている。ユーザーが画面上のボタンをクリックする、その意識的な操作の背後では、OSが無数の予測処理やリソース確保を無意識的かつ自動的に実行している。私たちが「自由意志」と呼んでいるものも、脳というシステムが無意識下で下した最適な判断に対し、意識が後付けで理由や所有権を主張しているだけの「幻想」なのかもしれない。

これらの知見が示すのは、「心」とは神秘的な存在ではなく、脳という物理的な情報処理システムが生み出す、極めて合理的な機能の集合体であるという事実だ。脳は、エネルギー効率を最大化するために既存のパターンを用いて世界を予測し、身体というハードウェアの状態を常に監視して感情という形でフィードバックを行い、そして多くの意思決定を無意識下で自動処理している。人間という複雑なシステムを理解することは、エンジニアがより良いシステムを設計し、また自分自身の能力を最大限に引き出すための、強力な武器となるだろう。

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