【ITニュース解説】Wi-Fi電波で心拍測定　家では「Apple Watch」など不要に--新研究

スマートウォッチやフィットネストラッカーを身につけることなく、心拍数をはじめとする生体情報を測定する。そんな技術が現実のものとなりつつある。これまでの健康管理は、体に直接センサーを装着するウェアラブルデバイスが主流であった。しかし、常にデバイスを装着することへの煩わしさや、充電の手間、睡眠中の装着感といった課題も存在した。今回、カーネギーメロン大学の研究チームが発表した新技術は、これらの課題を根本から解決する可能性を秘めている。その鍵となるのは、私たちの生活空間に既に行き渡っている「Wi-Fi」の電波である。

この技術の核心は、Wi-Fiルーターから発信される電波が、人体に反射して受信機に戻ってくる際の微細な変化を捉えることにある。電波は空間を伝わる波であり、物体に当たるとその一部が反射する。もしその物体が静止していれば、反射してくる電波の波形は安定している。しかし、物体が動くと、ドップラー効果により反射波の周波数や位相、つまり波のタイミングや形が変化する。この原理は、動く物体を検知するレーダーなどにも応用されている。人間の体は、一見静止しているように見えても、呼吸による胸郭の上下運動や、心臓の拍動による胸部の微細な振動といった、ごくわずかな動きを絶えず繰り返している。Wi-Fiの電波は、このミリメートル単位の非常に小さな動きさえも捉えることができる。具体的には、心臓が鼓動を打つたびに胸の表面がわずかに動き、それがWi-Fi電波の反射波に周期的な変化として記録される。この周期的な変化を解析することで、心拍のタイミングと間隔を推定するのが、本技術の基本的な仕組みである。

これまでもWi-Fi電波を利用して人の動きや呼吸を検知する研究は存在した。しかし、それらの多くは、チャネル状態情報（CSI）と呼ばれる、電波の伝搬状況に関する詳細なデータを取得する必要があり、そのためには特殊な改造を施したWi-Fi機器や専用のファームウェアが不可欠であった。これは、一般家庭への普及を妨げる大きな障壁となっていた。今回発表された「Vi-Fi」と名付けられたシステムの最大の革新性は、市販されている標準的なWi-Fiルーターをそのまま使用できる点にある。これを可能にしたのが、深層学習（ディープラーニング）というAI技術の活用である。研究チームは、Wi-Fiルーターが受信する信号データと、同時に心電図（ECG）センサーで正確に測定した心拍データを大量に集め、AIに学習させた。AIは、生活空間に存在する様々なノイズ、例えば家具の配置や他の電波の干渉、人の大きな動きなどの中から、心拍に由来する極めて微弱で複雑な信号パターンを見つけ出す能力を獲得した。その結果、Vi-Fiは単に心拍数をカウントするだけでなく、心拍の波形そのものを高い精度で再構築することに成功した。その精度は、医療用の心電図センサーと比較しても、平均誤差が1分あたり1.3拍未満という驚くべきレベルに達している。

この技術は、私たちの健康管理や見守りのあり方を大きく変える可能性を秘めている。例えば、自宅の寝室にWi-Fiルーターを設置しておくだけで、睡眠中の心拍数を非接触で継続的にモニタリングし、睡眠時無呼吸症候群や不整脈の兆候を早期に発見できるかもしれない。また、高齢者の一人暮らしの見守りにおいても、デバイスの装着を嫌がったり忘れたりする場合でも、異常を検知して家族や医療機関に通知するシステムが構築できる。さらに、Vi-Fiは心拍数だけでなく、心拍と心拍の間隔のばらつきを示す「心拍変動（HRV）」も測定可能である。HRVは自律神経のバランスを示す重要な指標であり、ストレスレベルの評価や心疾患のリスク予測にも用いられる。これにより、オフィス環境での従業員のメンタルヘルス管理など、より高度な応用も期待される。一方で、この技術には深刻なプライバシーに関する懸念も伴う。壁を透過して人の存在を検知し、その心拍という極めて個人的な生体情報まで取得できるため、本人の同意なく監視やストーキングに悪用される危険性がある。技術が悪用されれば、個人のプライバシーが著しく侵害されることになりかねない。研究チームもこの倫理的な課題を重く受け止めており、技術の普及には、悪用を防ぐための法整備や、利用者の同意を明確にする仕組みの構築が不可欠であると指摘している。技術の進歩と社会的なルールの整備は、常に両輪で進められなければならない。このWi-Fiによる心拍測定技術は、非接触センシングの新たな扉を開く画期的な成果であるが、その光がもたらす影の部分にも目を向け、慎重な議論を重ねていくことが重要となる。