【ITニュース解説】Spotify adds lossless streaming after 8 years of teasing
2025年09月10日に「The Verge」が公開したITニュース「Spotify adds lossless streaming after 8 years of teasing」について初心者にもわかりやすく解説しています。
ITニュース概要
Spotifyが長年の予告期間を経て、ついにロスレスオーディオ配信を開始した。これにより、音源データを圧縮せず、原音に近いクリアな高音質サウンドをストリーミングで楽しめるようになった。
ITニュース解説
Spotifyが長年の予告を経て、ついにロスレスオーディオのストリーミングサービスを開始したというニュースは、音楽業界だけでなく、それを支えるIT技術の観点からも注目すべき出来事である。この「ロスレスオーディオ」という言葉から、まずはその技術的な意味を紐解いてみよう。
デジタルオーディオの世界では、音源のデータを保存したり、インターネット経由で配信したりする際に、そのデータ量をいかに効率的に扱うかが常に課題となる。CDに記録されているような高音質の音源は、非常に多くの情報を含んでおり、そのままの形でファイル化すると容量が大きくなってしまう。かつてのインターネット環境やストレージの容量には限りがあったため、こうした大容量データを扱うのは非効率だった。そこで登場したのが「圧縮」という技術である。
多くの人が日常的に利用しているMP3ファイルなどは、この圧縮技術の代表例だ。MP3のような形式は「非可逆圧縮」と呼ばれ、データ容量を大幅に削減するために、人間の耳にはほとんど聞こえないとされる音の成分を大胆に「削除」する。例えば、高周波数の音や、同時に鳴っている他の大きな音にマスクされて聞こえにくい音などを取り除くことで、元のデータに比べて格段にファイルサイズを小さくできる。これにより、インターネット経由でのストリーミング配信が容易になったり、スマートフォンのような限られたストレージ容量のデバイスにも多くの楽曲を保存できるようになったりした。しかし、この非可逆圧縮の最大の欠点は、一度削除された音のデータは二度と元に戻せないという点にある。つまり、データ容量と引き換えに、ある程度の音質劣化を許容しているわけだ。
これに対して、今回Spotifyが導入した「ロスレスオーディオ」は、「可逆圧縮」という技術に基づいている。可逆圧縮では、データの内容を一切損なうことなく、統計的な手法やパターン認識などを利用してファイルサイズを小さくする。例えるなら、文章の中から重複する単語やフレーズを効率的に表現し直すようなものだ。元のデータが持つ全ての情報が完全に保持されるため、圧縮されたファイルを元の状態に戻す(伸張する)と、圧縮前の音源と全く同じ音質が得られる。CD品質の音源が持つ情報量を完全に再現できるため、音楽制作者が意図した音のニュアンスや楽器の響き、ボーカルの微細な表現などを、より忠実に体験できる。FLAC(Free Lossless Audio Codec)は、この可逆圧縮形式の代表的なフォーマットの一つであり、今回のSpotifyのサービスでもこの技術が用いられている可能性が高い。
Spotifyがこのロスレスオーディオの提供を予告してから、実に8年もの歳月が流れている。2017年には既に高音質提供の噂があり、2021年には「年内には提供する」と発表、2024年5月には「もうすぐ準備が整う」とされていた。これほど長い間、サービス提供が延期されてきた背景には、技術的およびビジネス的な複数の課題があったと推測できる。
まず、技術的な課題として、ロスレスオーディオは非可逆圧縮に比べてデータ容量がはるかに大きいという点が挙げられる。FLAC形式で圧縮されたCD品質の楽曲でも、MP3に比べて2倍から5倍程度のデータ容量になることが多い。この大量のデータを数億人規模のユーザーに対して安定的にストリーミング配信するには、膨大なネットワーク帯域と、それに見合うサーバーインフラが必要になる。
システムエンジニアの視点から考えると、このような大規模サービスを実現するためには、以下のような技術要素が不可欠だ。
- 大容量データストレージと管理: 数千万、数億曲にも及ぶロスレス音源のオリジナルファイルを、劣化なく安全に保存・管理するシステムが求められる。これは単にストレージ容量を確保するだけでなく、データの冗長性(予備を持たせること)やバックアップ、災害対策なども考慮する必要がある。
- 高性能なストリーミング配信インフラ: ユーザーがどこからでもスムーズに音楽を聴けるよう、世界中に分散配置されたコンテンツデリバリーネットワーク(CDN)の整備が重要となる。CDNは、ユーザーに最も近いサーバーからデータを配信することで、ネットワークの遅延を最小限に抑え、快適な再生体験を提供する。ロスレスオーディオのデータ量が増える分、CDNへの投資も大きくなる。
- サーバーサイド処理の最適化: ユーザーからの再生リクエストに応じて、適切な音源をデータベースから取得し、ストリーミング形式に変換して配信するサーバー側の処理も高度化が求められる。同時に多数のユーザーからのリクエストを効率的に処理し、安定したサービスを提供するスケーラビリティ(拡張性)が重要だ。
- クライアントアプリケーションの対応: スマートフォンやPCなどの再生デバイス側でも、ロスレスオーディオのデコード(伸張)処理をリアルタイムで行い、高品質で再生するためのソフトウェア実装が必要となる。デバイスの処理能力やバッテリー消費への影響も考慮しなければならない。
- ネットワーク帯域の確保とコスト: ユーザーがロスレスオーディオを再生する際には、非可逆圧縮時よりも多くのインターネット帯域を消費する。これは通信事業者側だけでなく、Spotifyが負担するデータ転送コストにも直結するため、事業収益とのバランスを慎重に検討する必要があっただろう。
競合サービスの中には、既にロスレスオーディオを提供している企業も存在する。TIDALやApple Music、Amazon Musicなどがその例だ。これらのサービスは、高音質を求める特定のユーザー層をターゲットにしてきた。Spotifyは、長らく一般的な音質のストリーミングサービスで圧倒的な市場シェアを築いてきたが、ユーザーの音質への要求が高まる中で、この高音質オプションの導入は避けて通れない戦略的な動きだったと言える。
今回のロスレスオーディオの導入は、単に「音質が良くなった」という表面的な変化だけでなく、それを支える裏側のITインフラや技術が大きく進化し、複雑な課題を乗り越えて実現されたものである。システムエンジニアを目指す皆さんにとって、このような大規模なデータ配信サービスがどのように構築され、運用されているのかを理解することは、将来のキャリアにおいて非常に貴重な知見となるだろう。ユーザーが目にするサービスが、いかに多くの技術と努力の上に成り立っているかを改めて認識する良い機会である。