【ITニュース解説】あらゆるプライベートなチャットやファイルを政府の指示で検閲する「チャットコントロール法」が危険で無意味な理由とは?
2025年09月09日に「GIGAZINE」が公開したITニュース「あらゆるプライベートなチャットやファイルを政府の指示で検閲する「チャットコントロール法」が危険で無意味な理由とは?」について初心者にもわかりやすいように丁寧に解説しています。
ITニュース概要
EUで、児童保護を名目に全ユーザーの通信内容をスキャンする「チャットコントロール法」が検討されている。この法案は、個人のプライバシーを著しく侵害し、通信の暗号化を弱体化させるなど、セキュリティ上の大きなリスクを伴う。また、本来の目的である児童保護にも効果がないと批判されている。
ITニュース解説
欧州連合(EU)において、児童を性的虐待から保護するという目的の下、市民のあらゆるデジタル通信をスキャンすることを義務付ける「児童性的虐待規制案」、通称「チャットコントロール法」の導入が検討されている。この法案は、メッセージングアプリ、メール、ファイル共有サービスなど、すべてのプライベートなやり取りを対象に、児童性的虐待に関連するコンテンツ(CSAM)が含まれていないかを自動的に検閲するよう、サービス提供事業者に求めるものである。しかし、この規制案は個人のプライバシーとデジタル社会全体のセキュリティを根本から脅かす深刻な問題を内包しており、その実効性にも大きな疑問が呈されている。
この法案がもたらす最も重大な問題は、現代のデジタル通信におけるプライバシー保護の根幹である「エンドツーエンド暗号化(E2EE)」を事実上無効化する点にある。エンドツーエンド暗号化とは、メッセージの送信者と受信者のデバイス間でのみ内容の暗号化と復号が行われ、通信経路上やサービス提供者のサーバー管理者でさえもメッセージを読み取ることができないようにする技術である。これにより、第三者による盗聴やデータの不正利用を防ぎ、安全なコミュニケーションを保障している。しかし、チャットコントロール法が義務付ける通信内容のスキャンを実施するためには、この暗号化の仕組みに何らかの「抜け穴」を設ける必要が生じる。具体的には、暗号化される前のデータにアクセスする、あるいは意図的に暗号化を弱めるといった手法が考えられるが、これらは「バックドア」を設けることに等しい。バックドアは、たとえ善意の目的で設置されたとしても、悪意のある攻撃者や不正な政府機関によって悪用されるリスクを常に伴う。一度セキュリティの壁に穴が開けられれば、そこは犯罪者にとって格好の侵入口となり、市民の個人情報、金融情報、企業の機密情報などが危険に晒されることになる。つまり、児童保護という目的のために、社会全体のサイバーセキュリティを著しく低下させるという本末転倒な事態を招く恐れがある。
また、スキャン技術の精度も大きな懸念点である。現在、CSAMの検出には、既知の違法画像のハッシュ値(データから生成される固有の識別子)と照合する方法や、AIによる画像解析などが用いられる。しかし、これらの技術は完璧ではなく、誤検知(フォールスポジティブ)のリスクが避けられない。例えば、家族旅行で撮影した子供の水着姿の写真や、親子が一緒に入浴している写真といった、全く問題のないプライベートな画像が、AIによって違法コンテンツと誤って判定されてしまう可能性がある。このような誤検知が発生した場合、無実の市民が突然、深刻な犯罪の嫌疑をかけられ、警察の捜査対象となり、社会的な信用を失うといった取り返しのつかない事態に陥る危険性がある。すべての市民を潜在的な犯罪者とみなし、その私生活を監視するシステムは、無罪推定の原則にも反するものである。
さらに、この法案は本来の目的である児童保護においても、効果が薄い、あるいは無意味であると指摘されている。巧妙な犯罪者たちは、このような大規模な監視システムが導入されれば、それを回避する新たな手段を講じる。例えば、独自の暗号化ツールを使用したり、規制の対象外となるプラットフォームやダークウェブに活動の場を移したりするだけである。結果として、法を遵守する一般市民のプライバシーのみが侵害され、本当に追跡すべき犯罪者を取り逃がすことになりかねない。実際に犯罪組織を追跡するには、標的を絞った捜査令状に基づく合法的なアクセスなど、従来からある捜査手法のほうがはるかに効果的である。
そして、一度このような大規模な監視インフラが構築されれば、その利用目的が拡大していく「スリッパリー・スロープ(滑りやすい坂)」現象への懸念も大きい。当初はCSAM対策に限定されていたスキャンの対象が、テロ対策、著作権侵害、ヘイトスピーチ、さらには政府に批判的な言動の監視など、時の政権の都合の良いように次々と拡大していく可能性がある。市民のプライベートな会話が常に監視されている社会は、自由な意見表明を萎縮させ、民主主義の基盤を揺るがす。このような監視法は、権威主義的な国家が自国民を統制するための前例となり、世界中のインターネットの自由に悪影響を及ぼす危険性もはらんでいる。
以上の理由から、チャットコントロール法は、善意の目的を掲げながらも、その実現手段がプライバシーの権利、情報セキュリティ、法の支配といった社会の根幹を破壊する極めて危険な提案である。デジタル社会の安全と自由を守るためには、すべての通信を監視するという短絡的なアプローチではなく、技術の仕組みを正しく理解した上で、より効果的で人権を尊重した対策を模索する必要がある。